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2006/10/17

The history of "Der Kontrapunkt"

... Ouverture ...

記憶を遡る...
私たちが「はじめまして」と互いに言ったのは、いつだろう ??

まだ私たちは学生で、確か二十歳の時です。
私にチェンバロを教えて下さった恩師のお宅で、
私たちは「はじめまして」と言ったのでした。

恩師は、幾つかの大学の学生数名と、
J.S.バッハの協奏曲研究をしていました。
大学の授業を越えたゼミといった具合でしょうか。
恩師のお宅に集まって、協奏曲研究の実践として編曲をしていました。
私たちは、そのメンバーでした。

同じ歳のアンサンブルというと、
大抵、同じ大学の出身者で組んでいるようなので、
プロフィールを見てびっくりされる方が多いのだけれども、
私たちは出身大が違う。
大阪音楽大学卒業生(織田優子)と相愛大学卒業生(中田聖子)。
Der Kontrapunktは、
当時、学校を越えた場所でも 学生たちに音楽を教えてくれていた
恩師 中野振一郎先生の元から始まったのでした。
協奏曲研究の場以外でも、恩師の古楽オーケストラの演奏会などで、
私たちは顔を合わせて交流を深めていました。

元々そんな場所で出会った二人だから、
音楽に対しての論はバンバンやっていたような気がします、
周りにどんな偉い方がいるかなんて、全く気にもせず、
自分たちのレベルも気にせずに (笑)

「学校間を越える」ことは、私たちの間では自主的にも行われ (笑)
通奏低音の練習に付き合って貰ったりしながら、
次第に実際の「自分たちの音」でも交流を行うようになっていきました。
夏休みなどには、互いの大学の練習室で、初見大会もよくやった (笑)

「今度の曲目どうしようか?」
と音出しから始めてみることが多いのですが、
「そういえば、この曲、昔、初見大会でやったよね!」
と言うことが多いです。

そんなお話をすると、
まるで古楽器科同士の学生の話のようですが、
私は、ピアノ科に在籍しており、同学年(勿論 歳も一緒!) の織田ちゃんは、
とても身近な「バロック音楽演奏の先輩」でした。
卒業後チェンバロに転身してからは、ずっと、
「織田さんと一緒に音を出しても恥ずかしくないように」
と頑張ってきました。今は、それプラス、
「演奏で話合い、音楽作りが出来るように」

私たちが初めて、「本番」として、一緒に演奏したのも、学生時代。

「リコーダーとチェンバロ」ではなくて、「リコーダーとピアノ」でした!

尼崎合奏連盟に呼ばれて私たちはゲストで出演し、
G.P.Telemann "Wedding Divertissment" 、
R.Carr "Divisions" に加え、
当時公開されていた映画「もののけ姫」の音楽を演奏したのを覚えています。
その音楽会では、小学生のリコーダー・アンサンブルが多数出演し、
曇りのない音楽を奏でていたのですが、
何と ! 織田さんは、小学生の時に出演していたのだそうです !!!

そして、私たちは大学を卒業し ... 私はチェンバロに転身...
リコーダーとチェンバロでの音作りへの道へと歩み出し、
「Der Kontrapunkt」が後に出来ることになるのです。

つづく

(Seiko)

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通奏低音通奏低音(つうそうていおん)とはバロック音楽において行われる演奏形態のひとつで、伴奏楽器が間断なく演奏し続けるということからこの名がある。イタリア語のバッソコンティヌオの訳語であるが、ドイツ語のゲネラルバスもよく使われる。通例、チェロ、コントラバス、ファゴットなどの低音楽器と、リュート、チェ...... [続きを読む]

受信: 2006/12/17 19:15

コメント

(これはバロック音楽世界の方ならどなたでもご存知の話かもしれませんがボクはごく最近知りました)1930年生まれの二人の音楽家がそろってエラスムズ賞を受賞しました。1980年9月8日アムステルダムのコンセルトヘボウでのことです。この二人が初めて出会ったのは1949年、19歳のとき。二人は出会って5分後には大喧嘩を始めていたそうです。なぜかといえば、一人はバッハの『フーガの技法』がチェンバロ作品として書かれたことを証明する卒論を書き上げたばかり。もう一人は『フーガの技法』を4つのガンバで演奏することに意欲を燃やしていた、というのです。喧嘩になるのも無理ないよね。続きは今週の週末雑感で。

投稿 ポリ公 | 2006/10/23 17:38

お二人の大喧嘩は、お二人にとって必要なものだったんでしょうね。
大喧嘩が出来る程、自分たちに志があるのは勿論のこと、私はそれが幸せなことのように思います。意味のある大喧嘩だっただろうから。
立場の上下に関わらず、論議をしたり意見を交わし合えるというのは、奏者同士だけに限らず、とても貴重な関係なのではないでしょうか。
人生経験豊富な方々にとっては、もっと色々感じられているのだろうなぁと推測しております。

投稿 Seiko NAKATA | 2006/10/24 03:00

お二人の経歴に出てくる曲名について。テレマンの結婚「Divertissment」。これはフランス語で「気晴らし」を意味します。ドイツの音楽では「ディヴェルティメント」というのではないでしょうか。さて、我が家では週末の夕食時ワインが入ったりするとよくモーツァルトのディヴェルティメントなどを聴きます。軽やかで気分が良くなるからね。で、ずっと不思議に思っていたのが、この曲をなぜ「気晴らし」と呼んでいるのか、だったのです。ごく最近、疑問が氷解しました。アーノンクールの「古楽とは何か」P.307によるとフランス・オペラの各幕の終わりに用意された<劇中劇>で「しばしば劇の大筋とほとんどつながりがなかった」そうですね。気分転換する場所だったのでしょう。

投稿 ポリ公 | 2006/10/25 14:26

ワインを飲みながら、モーツァルトと共に夕食! 優雅ですね!!!

投稿 seiko | 2006/12/02 03:24

Yes, that's the reason that the affections were concerned.

投稿 chero-cola company's successor | 2006/12/30 03:34

Hardinge, his regiment sharing in the vernacular, and the dim glimpses I had, and as some folks love their parents--of wife or children, less apparent.

投稿 hunting statistics | 2007/02/05 11:39

Should he remain, and, after which we learn that Wah-ta-Wah was stolen from her sister, a sort of captivity.

投稿 smc.fr | 2007/02/07 05:30

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